2015-12

希少植物を移植 / 15-12-20

国立循環器病研究センター前の空き地は大阪府が管理していましたがこの秋、民間に払い下げられました。
吹田市内で田んぼや草地がどんどん消えてしまった昨今、
この空き地は吹田市内でほとんど見ることができなくなった植物の宝庫でした。
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この場所も住宅となることが確実になったので、
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ここに生えている珍しい植物を博物館周辺に移植しました。
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12月下旬になっても今年の紅葉は残っていました。
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移植した主な植物は
チガヤ、メガルカヤ、オガルカヤ、メリケンカルカヤ、
ウツボグサ、ワレモコウ、ハギ、ツリガネニンジンなどです。



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2015年度 環境楽座⑤ / 15-12-12

今年の環境楽座最終回の第五回の講師は
認定NPO法人環境エネルギー政策研究所所長の
飯田哲也さんです。
お題は「エネルギーデモクラシー
    地域の実践が世界を変える」

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世界では2014年に風力発電量が原発に追いつきました。
太陽光発電は原発の半分ですが2017年には原発に並ぶと予測されています。

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デンマークの例です。1980年は大型火力発電所が数箇所だったものが、
30年後にはコジェネレーション発電や風力発電所が全国各地に分散して作られています。
エネルギーの地産地消です。

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エネルギー生産は大規模中央独占型から
小規模で地域自立で自然エネルギーにシフトしてきました。
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高い、少ない、不安定なものという自然エネルギーの認識や
電気は買うものだという認識は
すでにまったく逆の方向に進んでいます。
しかし日本政府はまだかたくなに原発を推し進めています。

福島第一原発事故は間違いなく日本人全体の意識を変えた事故でした。
これが明治維新、敗戦に続く日本近代史における第3の転換点だと思います。

明治維新を迎えるにはペリー来航1853年を契機に1868年まで15年を要しました。
尊皇攘夷の熱い盛り上がりがあり、それに対して守旧側の締めつけとして井伊直弼の弾圧、安政の大獄がありました。
1945年第二次世界大戦の敗戦までには満洲事変1931年から14年かかりました。
やはりその途中で軍部の厳しい反動がありました。
世の中が変わろうとするときに古い秩序を重んじる人が反動的、強圧的な対応をすることはある種歴史の必然なのかもしれません。
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当時の安政の大獄になぞらえて現在起きていることは安倍の大獄と言えます。
古い、守旧派の反動です。
安倍の大獄はそう長くは続かないでしょう。何らかの形で一気に崩壊するはずです。
といってもそんなにたやすいことではないでしょうが。

紫金山みどりの会12月作業日 / 15-12-12

今年最後の公園整備は林の中の整備作業。
作業をはじめる前にKYK(危険予知活動)をします。

これからの作業で予測できる危険を列挙して、予防策を考えます。
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林内に散らばっている枝や幹を片付け、きれいに積み上げました。
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明日の日曜日に開く子ども教室の準備もしました。
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紅葉の中、休憩時間
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小女郎稲荷が消えます / 15-12-06

吹田の渡しのすぐちかくにある小女郎稲荷が撤去されつつあります。
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鳥居が切断、撤去されています。
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下は2010年1月当会主催「吹田の大木観察会」のシーンです。
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祠(ほこら)も撤去が近いです。手前の菖蒲池はどうなるのでしょうか?
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 荼枳尼天(だきにてん=仏教の神)は、神通力を得た狐というのが通説で、人の死を六カ月前に知り、その心臓を奪って食うといわれる。わが国では稲荷権現として祀つり、吹田のこのあたりでは 「小女郎(こじょろ)稲荷」 とよんでいる。
 むかしから心臓を食うものがいたのには驚いたが、民衆のなかでは商売繁昌の神様として結構多くの人から信仰されており、とくに「摂津名所図会」にも掲載されて、民間にもよく知られているから、江戸時代にはすでにここに祀(まつ)られていたことになる。
 奉献されている石造物は明治以後のものが多く、手水鉢(ちょうずばち)には茨木・大岩・福井などの地名が刻まれており、祀られている場所も「吹田の浜」にちかく、物産の中継地として繁栄したところであり、亀岡街道沿いの地名があることは、そこらの人が吹田の浜で商取引をしていた証明にもなるだろう。
 むかしこのあたりは観音寺の境内であったという説もあり、本堂の大屋根がすぐそこにみえる。小女郎という呼名には「江口の遊女」や、平家滅亡とともに没落していった「上臈(じょうろう=年功を積んだ位階の高い人)」などを連想させるものがあるけれども根拠はわからない。このちかくには「泪(なみだ)の池」や「吹田殿(すいたでん)跡」などもあり、平安・鎌倉期にすでに祀られていたことも想像できる。
 いまこの祠(ほこら)は数本に分かれた一株の樫の木の下にあり、四体の石狐に侍(かし)づかれている。夜な夜な面長で色白の娘に化けて、酒を買いにいったのはこの狐だったのだろうか。
 隣の百平方メートルばかりの池には菖蒲(しょうぶ)が芽ぶき、今年も名物の花を楽しませてくれそ
うである。池の掃除と菖蒲への水遣(みずや)りは、ご近所の方の奉仕である。
(1992年吹田市発行の「石の声 碑の語り 続セピア色の写真から」から)

 小女郎と呼ぶ由来はよくわかりませんが、紅梅狐(こうばいぎつね)という狐がいたという江戸期の地誌の記述、狐が娘に化けて酒を買ったという伝承など旧吹田には狐に関する話が多く、稲荷信仰の広まりや狐神(きつねがみ)の信仰などと関係するのかもしれません。
(2001年吹田郷土史研究会発行 「すいた歴史散歩」から)


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